暮らし

4/22

熊本地震から一週間
未だに強い揺れがおさまらず、熊本・大分をはじめとする九州地方の方々のことを思うと、心が引き裂かれそうになる
自分の大切な人や生活の場所を被災で失い、まだ尚揺れの恐怖と過酷な避難所生活を強いられている

今日、僕の働く大学からも学生たちが現地の避難所に向かい支援活動を行うことが決まった
日頃から災害時の看護を学ぶ学生たちで、いずれは被災地での救命活動に従事することはわかっていたけれど、いざその時が来るといつも笑顔で愉快な会話をしてくれる彼ら/彼女らの安否が不安で堪らなくなる

5年前の出来事で、音楽がそれまで自分の唯一の拠り所だったからこそ僕は音楽というものの無力さに苛立ち、活動することを殆どやめた
その後、音楽の他に自分にできることを探して、東京を離れ災害看護大学院で働き始めた
それが間違っていたとは思わないけれど、どういうわけか僕は今また音楽をつくっている
たぶん僕にとっての音楽はずっと「祈り」みたいなものだったということにあらためて気がついたから
だから祈りを捨てる事はもうしたくない

どんな言葉も無力さの中に掻き消されそうな状況だからこそ、自分の声に耳を澄ますことを続けようと思う

5月は愛媛と台湾に行きます
http://acae.jp/tour

ROSE RECORDS 10周年 vol.3

(前回のつづき)

あれ?と思い始めたのは大学に入ってしばらく経った頃でした。

大学にはたくさんの音楽サークルがあったので、きっとどこかのサークルに「サニーデイ」に繋がる何かが残っていたりするんだろう。

そしてそんなサークルの部室なんかには、きっとあの時感じた青春の片鱗のような空気が漂っていたりするんだろう。

と思った僕は、あらゆる音楽サークルに「たのもうー」と入門を仕掛けてみたのでした。

が、いくら巡ってみてもそれらしき気配がありません。
あれれ?

ちょうどその頃、同じ高校から上京していた音楽好きのOさんという女の子がいました。

高校のときには話したこともなかった彼女とは、上京してから次第に仲良くなっていたので、ある日、サニーデイについて彼女に訊いてみることにしました。

「Oさん、サニーデイって明大でサークルとか入ってたのかな?」
「え?サニーデイはメンバーみんな学校ばらばらで、曽我部さんは明大じゃなくて立教だよ」
「えーー!」

そう実は、テクノボーイのS君が、とある雑誌で「明大」と見たのは、サニーデイが明大に通っていたのではなく、曽我部さんが都内の「明大前」という駅の近くでインタビューを受けていた記事だったのです。。

インターネットもウィキペディアも無かった時代、田舎に広まる情報は伝言ゲームみたいに不確かなもので、僕はサニーデイに憧れて上京したのに、間違えた大学に入ってしまっていたのでした。

以上、恥ずかしくて曽我部さんにもROSEのスタッフのみなさんにもずっと黙っていた秘話でした。

しかし僕はその後、ご縁が会って曽我部さんと出逢うことになります。
その経緯などは、明日のライブの際に。

それでは明日、ROSE RECORDS 10th anniversary 五日目、お待ちしています!

ROSE RECORDS 10周年 vol.2

(前回のつづき)

同じ高校にS君というテクノ好きの友達がいました。

おしゃれでテクノボーイの彼は、日頃からクイックジャパンやsnoozerといったカルチャー雑誌を読み漁っていて情報に長けていたので、ある日、僕はUちゃん宅で聴いてからずっと気になっていた「Sunny Day Survice」というバンドのことを、S君に訊いてみることにしました。

「ああ、サニーデイね、知ってるよ」と、S君は読みかけていたガロを閉じながら、僕にこう言いました。
「たしかボーカルの人は四国出身で、明治大学の法学部らしいよ」

島国の田舎少年にとっては、四国から東京の大学に行く、ということが衝撃でした。
そしてそれからそんな選択肢もあるのだということを、もんもんと考え始めたのです。
サニーデイ..東京..明治大学..ガロ..
日々もんもんと。

それから淡い高校生活は飛ぶように過ぎ去り、気がつけば大学受験のシーズンになっていました。

その頃、小説家や作詩家に興味があって早稲田大学の文学部を受験しようとしていた僕は、何を思ったか直前で受験する大学を明治大学の法学部に変えてしまいました。
S君に聞いた「サニーデイ」の話がなんとなく頭の中に残っていたのです。

そして無事大学に受かり、僕は東京へ。
これで「サニーデイ」に逢えるかも知れない。

が、僕はこのとき重大なミスをおかしていたことにまだ気づいていなかったのです…

つづく

ROSE RECORDS 10周年 vol.1

ROSE RECORDSが今年で10周年を迎えます。

レーベルを立ち上げようとしている曽我部恵一さんと出逢ったのは、ちょうど僕がaCaeというユニットで音楽を作り始めた頃だったので、aCaeの活動も10周年ということになります。(途中何年か休んでましたが..)
むむむ、時の流れは早いものです。

でも僕の場合、ROSE RECORDSとの出逢いは偶然ではなかったのです。
そこで..10年目を記念して、いまだ曽我部さんにもROSE RECORDSのスタッフのみなさんにも打ち明けていない秘話(?)をブログに記そうと思います。

時代は17歳の僕に遡ります。

勉強もろくにせず、寝ても覚めても音楽ばかり聴いているバンド少年だった僕は、別の高校に通うバンド少年Uちゃんの家によく転がり込んでいました。彼の家にはたくさんのCDがあって、学校帰りに音楽好きのキッズが集っては、みんなで音楽の話をしたり楽器を弾いたりする、そんな場所だったのです。

彼のCDコレクションは当時の高校生にしては素晴らしくノージャンルで、僕はそこでたくさんの未知なる音楽と出逢いました。
ある日、いつものようにUちゃん宅に上がり込み、ゴダイゴと岡村靖幸の間にニルヴァーナの海賊版が入っていたりするような異色のCD棚を物色していると、気になるアルバムを一枚見つけました。

すかさずCDデッキで再生すると、いつも湿っぽいUちゃんの部屋の中にカラカラと乾いた青春のような音が鳴り響き、17歳の未熟な僕ではそれまで自分で気づくことさえなかった、若さの虚ろさ、脆さ、温かさというようなものが、いっぺんにカーテンの隙間から入り込んできたような気がしました。

そう、もうすぐ高校も卒業して、気の合う音楽友達とも離ればなれになる。
それまであまり考えもしなかったそういう現実を、なんとなく寂しげな秋の空にぷかぷかと浮かべながら、ただ流れる音楽に耳を澄ましていました。

牛の群れが映ったモノトーンのCDジャケットは、そんな空と同じようにどことなく寂しげで、かすんだ文字で「Sunny Day Survice」と書かれていました。

つづく

15年分のライブ納め

東京ではここ数日、冷たい雨が降っています。
僕の故郷では今日初雪が降ったようです。

そしてもうすぐ2013年も終わり。
今年もたくさんの方々に支えて頂いてありがとうございました。

実は2013年のおわりにあわせて、僕は一旦15年暮らした東京を離れることになりました。

2011年に起こった震災以来、自分にできることをずっと探してきて、ある土地でひとつの生き方が見つかりました。
詳しいことはまたあらためてブログのほうに書こうと思いますが、しばらくの間、その生き方に挑戦してみようと思っています。

でも「音楽をつくる」ということは僕にとって息をするのと同じことなので、これからも音楽はつくり続けます。
これからしばらくの間経験する新しい自分の暮らしも、きっと自分のつくる音楽や自分自身にとって貴重な経験になると信じています。

ひとまず明日は移住前の最後の東京ライブです。
東京で過ごした15年間の日々と、お世話になったたくさんの方々に、感謝の気持ちを込めて演奏しようと思います。
まだ少しお席がありますので、ご都合よろしければ遊びにいらしてください。

明日には冷たい雨が真っ白い雪に変わりますように。

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aCae Christmas Live 2013
■日時:2013年12月21日(土)
■会場:品川 La capi
■時間:17:30 open 18:00 start
■料金:2,000円(お茶付き♪)
■チケット予約:Eメール・お電話でご予約下さい。
Email lacapi@east.cts.ne.jp TEL 03-3450-8234
La capi HP :http://www1.cts.ne.jp/~lacapi/
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sketch #3

暮らしの中で聞こえてきた音、思いついた音のスケッチ。
#3をアップしました。